仕事に特別な意味を発見したい病
労働 - 2017年09月03日 (日)
利己的かどうかなんて基準にならないよ
気なるツイートを見かけました
【メモ】なぜギャンブルが仕事になり得ないか。それは自分の利得だけを考えているから。自分以外の誰かのためにやる。他者を儲けさせて、そのことによって自分が儲かる。これが仕事。したがって投資顧問業は仕事だが投資そのものは仕事ではない。投資家という職業はない。それはただの趣味。
— 楠木建 (@kenkusunoki) 2017年8月31日


自分の利得だけを考えるのではなく
他者を儲けさせて、そのことによって
自分が儲かることが仕事
傍を楽にするのが仕事
そんな意識高い系さんな言葉を連想してしまいました
自分の利得だけを考えて、仕事をしている人
結構いるんじゃないですかね どうですか
社会貢献とか他人の利得に繋がるかとか
みんな考えてるのかな
そうだとしたら、相当 意識高いなって思います
個人というミクロな存在が、いくら利己的であっても
その集合体としてのマクロは利己的にならないことは
この世の中で何年も暮らしていればわかることです
マクロなベクトルを上手にプラス方向に向かわせるための
制度上の仕組みに誤りがなければ
ミクロな個人が意識することなく、全体を上手に誘導できるわけです
これらのことが上手に絡み合って社会経済活動が
市場で成立しているのなら、なんの問題もありません
私自身は自分の利得を最大限にすることを
考えながら仕事をしています
私の定義する「仕事」は、会社の仕事に限りません
他人の役に立つかどうかも まったく関係ありません

さて、仕事と投資 一体 なにが違うのでしょうか
私はシンプルにこのように考えています
お金を働かせてお金を得る行為 => 投資(投資家)
自分を働かせてお金を得る行為 => 仕事(労働者)
他人を働かせてお金を得る行為 => 仕事(経営者)
つまり投資も仕事も一緒です
仕事に特別な意味を持たせていません
ただの経済活動です
働く主体が異なるだけの話です
ボーダーラインはそこにしかありません
利己的かどうか という いささか情緒的、倫理的な基準で
必死に分類しようとしても、客観的な基準にはならない
もちろん、個人の基準としては正解になりえます
「正しさ」ってそういうことです
誰もが「正しさ」を自由に持つことができます
大卒で22歳で入社して65歳まで
労働者として勤めあげるという
日本ではスタンダードともいえる選択
だからこそ、仕事に特別な意味を見出したい
職業倫理とか労働の美徳とかモチベーションとか
情緒的な価値をどうしてもつけたくなる
あるべき姿をどうしても定義したくなるのは
やはり人間の性なんですかね
私には一種の病だなと感じてしまうのですが

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